アルゼンチン、ブエノスアイレス生まれ。沖縄からブエノスアイレスに移住した両親のもとに生まれ、空手やギターに親しみ、日本とアルゼンチンのアイデンティティを育みながら成長する。母親の話すウチナーグチ(沖縄の方言)に幼い頃から馴染み、現地の日本語学校で標準語を習得した。母国語であるスペイン語、英語のほかラテン系の言語に明るい。1999年に国立ブエノスアイレス大学の特別奨学生として東京農業大学へ留学し、大学院まで進学。国際バイオビジネス学で修士号を修める。
在学中の2000年、学内でおこなわれた留学生による母国文化のプレゼンテーションでアルゼンチン・タンゴを披露した際、タンゴ文化の奥深さに触れ、本格的にタンゴを踊りはじめる。
2005年から東京のタンゴカンパニー「ルナ・デ・タンゴ(2008年にカンパニーは解散しました)」のジェネラル・コーディネーターに就任。国際バイオビジネス学で得たマーケティングのノウハウを応用しタンゴという文化の普及、のちにつながる経済効果までを視野に入れながら、長期的な展望とともに同カンパニーのマネージメントをおこなった。ガブリエル・ミセ&アレハンドラ・マルティニャンやアルゼンチン・タンゴダンスの巨匠たちの来日の際には通訳として同行し、彼らのダンスから多くのものを学んだ。
2006 年、プラクティカ(タンゴの練習会)で知り合った宮崎彩子とペアを結成。2007 年には、タンゴダンス世界選手権アジア大会サロン部門で優勝。この優勝によってシード権を獲得し出場したタンゴダンス世界選手権ブエノスアイレス本戦で は、初参加にしてファイナリストとなる。その後、日本でのインストラクター、プロダンサーとしての活動を開始し、都内各地でレッスンをおこなう。2009 年には、当時まだ日本では知られていなかったタンゴセラピーに取り組みはじめ、シニア世代に向けて普及を開始した。
2010 年、母国アルゼンチンに戻り10ヶ月に及ぶ長期タンゴ研修をおこなう。この研修により、技術と踊りの精度をさらに磨きあげ、同地で開催された世界選手権でも伝統に基づいた優雅なダンスでサロン部門ファイナリストとなった。ブエノスアイレス滞在中、本場のミロンガで数々のデモンストレーション・ダンスを披露している。
その後日本国内各地、アジア各国やヨーロッパからもデモンストレーションやワークショップ講師として招聘され勢力的に活動を続けている中、2014年7月に急性大動脈解離で倒れ、解離性動脈留で緊急手術。一か月あまりのCCUで命を取り留めた。その後、一年も経たずに復帰するという並々ならぬ精神力の強さでふたりでの活動を再開。2015年6月にロシアからのオファーを期に上海、韓国、中国Nanjing・・と、ダンサー、講師として現在に至るまでアルゼンチンタンゴの向上と広がりに日々、力を注ぎ続けている。
2018年4月に東京の中心ともいえる銀座にリベルタンゴスタジオをパートナーSae(宮崎彩子)とオープン。
アルゼンチンの文化、ダンス、音楽を世界中のタンゴ愛好家と共に社会に繋げてゆきたい・・その熱い想いと情熱でたゆまぬ努力を続けている。
1966年東京生まれ。幼少時より日本舞踏を舞う。10代でスカウトされテレビコマーシャル契約に至ったものの周囲の反対で契約更新を辞退、20代後半に正式に芸能界デビュー。映画、ドラマ、CM、司会、グラビアモデル、イメージガールなど多方面に渡り活躍する。(2005年には引退)
1995 年に一度アルゼンチン・タンゴに触れるが、本格的にアルゼンチン・タンゴを踊り始めるのはその10年後、2006年のブロードウェイ・ミュージカル 『フォーエバータンゴ』の東京・上海公演への同行がきっかけとなる。この世界トップレベルのアルゼンチンタンゴ・ダンサー、タンゴミュージシャンらと数週間ともに過ごすという経験でタンゴ芸術の真髄に触れ、その後タンゴの上達を目指し日々レッスンに励むようになる。
2006年フアン・カルロス・カツレンとペアを結成。2007 年には、タンゴダンス世界選手権アジア大会サロン部門で優勝。この優勝によってシード権を獲得し出場したタンゴダンス世界選手権ブエノスアイレス本戦で は、初参加にしてファイナリストとなる。帰国後、日本でのインストラクター、プロダンサーとしての活動を開始し、都内各地でレッスンをおこなう。
2009 年には、当時まだ日本では知られていなかったタンゴセラピーに取り組みはじめ、シニア世代に向けて普及を開始した。2010 年、アルゼンチンに渡り、9ヶ月に及ぶ長 期タンゴ研修をおこなう。この研修により、技術と踊りの精度をさらに磨きあげ、同地で開催された世界選手権でも伝統に基づいた優雅なダンスでサロン部門 ファイナリストとなった。ブエノスアイレス滞在中、本場の有名ミロンガで数々のデモンストレーション・ダンスを披露している。
その後日本国内各地、アジア各国やヨーロッパからもデモンストレーションやワークショップ講師として招聘され勢力的に活動を続けている中、2014年7月にパートナーであるJuanCarlosが急性大動脈解離で倒れ、解離性動脈留で緊急手術。Juan先生不在の間、通常通りのレッスンと毎日病院との往復も生徒さん方や皆様に支えられ、続けることが出来ました。その後半年経った頃から少しずつふたりでの活動を再開。2015年6月にロシアからのオファーを期に上海、韓国、中国Nanjing・・と、ダンサー、講師として現在に至るまでアルゼンチンタンゴの向上と広がりに日々、力を注ぎ続けている。
2018年4月に東京の中心ともいえる銀座にリベルタンゴスタジオをパートナーJuanCarlosと力を合わせオープン。
アルゼンチンの文化、ダンス、音楽を世界中のタンゴ愛好家と共に社会に繋げてゆきたい・・その熱い想いと情熱でたゆまぬ努力を続けている。
過去の芸能活動での出演作品 | |
映画
フジテレビ
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